本委員会の概要

目的

ロボットのもつ社会的価値とは?

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本委員会では,ロボットと人間の安心できる共存に注目し,安心という言葉の語源となる仏教哲学の考え方や,ロボットとの社会的関係における倫理や規範について議論を行うことを目的とします.特に,ロボットをどのように扱うべきなのかや,ロボットの社会的価値とは何かについて,ロボット工学,哲学,心理学,社会学の立場から,哲学的な視座を創出することを目的とします.
これまで人間共存型ロボットの実現にむけて,工学的な技術開発やユーザの心理について研究が盛んに行われてきました.しかしながら,ロボットをどのように扱うべきかといった倫理の問題や,ロボットの社会的価値に踏み込んだ議論はあまり行われてこなかったように思えます.ロボットと人間の共存が実現しつつある現在において,ロボットを使う際の人間のあるべき態度や心構えを明確にし,将来的な教育や倫理指導に資するような議論を行うことは必須となります.哲学者の考察に基づき,技術開発を行う工学者やユーザの心理を扱う心理学者,社会システムを考える社会学者が,本委員会にて学際的にこの問題に取り組んでいきます.

ロボットに対する安心感

日本におけるロボットの安心要素とは?

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本委員会は,ロボットと人間の安心できる共存のための知見創出を目指しています.本委員会の前進となる「日本ロボット学会安心ロボティクス研究専門委員会(2012年4月〜2015年3月)」では,ロボットに対する安心感とは何かについて様々な議論を行ってきました.その一つの成果として,安心感の心理的要素の特定があります.

日本人にとってロボットの安心感とは,ほっとする(Comfort),ストレスを感じない(Peace of Mind)といった感情的な側面と,言うことをきちんと認識してくれる(Performance),予測不可能な動きをしない(Controllable)といった評価的な側面があることがわかりました.これらの4つの要素がより備わっているほど,ロボットはより安心であるということになります.ところが,どの程度人間とは似ておらず,ロボットらしいのかという要素(Ronot-likeliness)に関しては,ロボットらしいほうが安心なのか,人間らしいほうが安心なのかという結論が今のところはっきりわかっていません.あまりに人間に似すぎると不安になるということもありますし,見かけがロボットらしくても人間のような接しかたをしてくれると安心するということも可能性としてあります.ロボットの人間らしさは,安心を考える上で今後の課題になりそうです.

仏教における善悪論

三性の理

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ロボットのような高度な技術は,人間にとって善なのか,悪なのか,そのような価値を考える上で,仏教の善悪論である三性(さんしょう)の理が参考になります.

三性とは善,悪,無記のことです.善悪とは,通常の価値判断における内容のことを指します.無記とは,善や悪といった価値を一切前提としないことをあらわす言葉(記)を意味します.無記は単に「価値がない」という意味ではなく,善と悪を混ぜ合わせた総合でもありません.善や悪といった価値や意味が創出される以前の,一切の前提や価値観を取り払った異なる次元を意味します. 図に,善・悪・無記の捉え方の例を示します.無記を善でも悪でもない,両者の中間として把握してしまうのは,結局のところ無記を善悪と同じ次元でとらえている直線志向(a)になります.これでは善悪と無記との次元の違いをとらえることはできません.無記を考える際には(b)のような三角志向が適切です.善と悪は相対する価値をもつ同一次元の現象ですが,無記とはそういった価値を一切排した,意味生成以前の上位の次元になります.善悪といった価値は,あらかじめ決まっているものではなく,元来は無記なのです.ロボットが善なのか悪なのかはアプリオリに設定されているわけではありません. ドローンの事故が頻発するようになって,規制強化だけがその対策となっていますが,規制強化だけが解決策なのでしょうか.三性の理によると,ロボットや道具そのものにあらかじめ善or悪といった価値が付与されているのではなく,わたしたち人間の使い方次第でロボットは善にでも悪にでもなります.なぜならば善や悪はわたしたちとロボットがどう関わるかに依存しているからです.三性の理の考え方にしたがって,ロボットのもつ社会的価値を考えて行きたいと思います.

三性の理については以下をご参考ください.

退歩を学べ――ロボット博士の仏教的省察 (アーユスの森新書(004)) 新書
森 政弘 (著)

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